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昔の直進する大津道が何故、今の長尾街道のルートになったのか?

趣味ブログ-街並み 

長尾街道は古代において大津道と呼ばれていた。

この道は元々、大阪府内を西の堺市から松原市、羽曳野市、藤井寺市、柏原市と通り奈良県内に入る一本道だった。

ところが、近世になってある時からこの道が藤井寺市内で90度折れ曲がり、現在の藤井寺市役所の南側を迂回するルートに変わる。

なぜコースを変えたのか?、いつ変えたのか?『ウェブ風土記ふじいでら』では時期も理由も明言していない。

「律令体制が崩れて街道の管理がしっかりと出来なくなったから的なボヤっとした説明しかない。

ただ、私はこのウェブサイトにあった地図を見ていて思う。

時代の変遷とともにコースをなんとなく変えた訳ではないと。

時期は分からないが、ある年に未曽有の大雨が羽曳野、藤井寺地域に降り、増水する川の水が小山1丁目付近で横断する大津道を崩した。

街道を復旧するにあたり、土地の崩れた場所に盛り土をしてそのままのコースで再開するのではなく、より、浸水被害にあわない場所で街道を作り直そうと当時の人々は考えた。

長尾街道(大津道)は藤井寺市内で南から下がってくる羽曳野丘陵の北の端あたりを走っている。

写真は羽曳野市島泉で長尾街道の北を通る道から長尾街道の方向を写した。

上り坂の向こうにため池、墓地があって、その向こうに街道、奥でこんもりと木の茂っているのが雄略天皇陵

東除川付近では私のいる道と街道でそれほど高低差は感じない。

しかし、そこから東に移動してここまでくると北の方が土地が低いとはっきり分かる。

長尾街道は比較的高い位置をキープしたまま藤井寺市内に入るが

ここで道が突き当たる。

電柱の横の慶応時代から建つ道標は右折を指示する。

でもここで少し左によって、その先に延びる道に入ってみよう。

藤井寺幼稚園の横を通って東進する。

幼稚園を過ぎたところで先が一段低くなっている丁字路になって終わり。

右を向くとカーブの先に藤井寺小学校が見える。

そのまま道に沿って南方向に進むと藤井寺市役所から流れてくる細い川があって、その川がこの付近で西に向かって曲がり、藤井寺小学校と幼稚園の間に入って行く。

大きくカーブしている場所に排水用の穴があって、北側に雨で増水した時に水を北へ逃がすための雨水桝がある。

それが先ほどの一段下がった場所。

さらによく見ると、この道は東の方が若干低くなっている。

つまり、この川筋は南から北に流れてきて、ここで西にカーブ、坂を上って西に流れている。

明らかにおかしな川筋をしている。でも地元の人に聞くと昔からあの地形だと言う。

昔はそこで洗濯ができたと言う。

一体いつの昔から?

川に沿って少し南に移動すると正面に市役所が見える。

手前にNTTドコモの看板が見える。

先ほどのカーブをしている場所から右の道が川筋で左(東)にまだ細い道はあるのでそちらへ進むと

民家の間を一挙に下る。上は下ってから振り向いた写真

下に降りたあたりから南を見た。

少し分かり難いが手前の駐車場の向こうに空き地があって1,5mから2mくらいの壁があってその上にNTTドコモの駐車場と市役所が移っている。

駐車場の壁のアップ。

 

結論

ここで道が落ちている。このまま直進すれば、外環状線で沢田北の交差点より少し北側に出てそのまま大津道の推定路を東進できるが、ここで道が崩れたために長尾街道は手前で右折して市役所の南側に逃げた。

旧のルートを東に向かうと市野山の北側で比較的低い場所を移動しなければならない。

しかし、付け替えられた長尾街道は沢田の交差点に向けて坂道を下った後、大水川を渡ってから市野山の尾根筋を頂上に向かって駆け上がる。

この山だけは大和川の水位より高い場所にある。

だから、大和川や石川が、付近の小さな川がどれだけ氾濫しても絶対に水没しない場所、それが市野山古墳(允恭天皇陵)

もし、今あなたが大水川より西にいるなら長尾街道か堺大和高田線を使って市役所に避難するべき。

東にいるなら、長尾街道か堺大和高田線を通って山の頂上に逃げるべき。

谷筋は水没の危険があるし、場合によると道そのものが雨水の流れになる危険があるから避難路には適さない。

 

 

 

 

 

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