允恭天皇陵陪塚い号 藤井寺市林6丁目7-18
趣味ブログ-古墳

藤井寺市の北東部でグーグルマップを表示すると允恭天皇陵の陪塚「ろ号」と、「は号」は表示が出てくる。
しかし、「い号」が見当たらない。
昔の記憶の話。
允恭天皇陵のすぐ横の道を自転車で真っすぐ走ったら突き当たりで古墳の土手があって、その土手を駆け上ったらいきなり、濠に落ちてしまうような道があった。
その記憶と一致する古墳が見当たらない。もう無くなったのかとあきらめていたが、陪塚い号がそれらしい。
元々、真っすぐに伸びた道がどの方向だったのか覚えていなかった。
周りは田園で建物はほとんど記憶にない。
道路の傾斜も昔と変わっている。
古市古墳群が世界遺産に認定された頃から探し始めた。
約1年かかったがおそらくこの場所です。
この交差点はちょっと変形していて、東から西に允恭天皇陵を左に見ながら直進すると突き当たる。
少し左にずれると中に入って行く道がある。
入ると緩く右カーブしていて、右に見えるキリン堂薬局の裏を回ってキリン堂とその北にある墓地の間を直線道路で戻ってくる。
私の記憶と突き合わせると北が前方部で南が後円部になっていて、この道路の内側全体が濠を有する古墳だったはず。
現在はポーラの建物とキリン堂の間の空き地が見える金網の奥に石碑が残っているだけ。
金網の中にみだりに入るな!って主張はしているが、残念ながら古墳と言うより古墳跡にしか過ぎない。
しかも今はこの道路に面して空き地があるからこちら側から石碑が見えるのだが、
このブログを書くにあたってたまたまストリートビューを見たら、今ある空き地に建物が建っている。
これでは前を通っていても気付かないはず。
土地の権利って長い間の変遷で曖昧になってしまったり、色々と推移はあったのでしょうけれども、
その中で小さな古墳が消えてしまった話も聞きますが、昭和になってから、市街地開発の過程で無くなっている姿を見ると何とも勿体ない気がします。