『千早』の歌碑が何故かこんな場所にある
趣味ブログ-街並み

先日来、大和川沿いに奈良県との県境を目指して龍田道を通っていたが今日は安堂から堅下方面に行ってみました。
大体、赤線で囲ったあたりです。
旧170号線(東高野街道)の太平寺北の交差点から東に入ってみました。
坂道を登って行くと道の途中に石碑があります。
少しズレていますが南北方向に業平道があって、東に坂を登って行くと展望台に出るみたいだったので東に進みます。
雰囲気のある道を登ります。
でも行き止まりの表示が出てきました。
行けるところまで行ってみようと登りましたが道が細くなって最後は階段になりました。
そこを上がったらその先を走る道路に上がれたのかも知れません。
ですがちょっと先が見えないので下に降りる事にしました。
少し下りて途中から北へ向かいました。
右側にブドウ園を見ながら進むと小さな業平公園が有ってそこに百人一首の『千早』の歌碑。
『千早ぶる神代も聞かず龍田川から紅に水くくるとは』
伝承では在原業平が奈良県天理市から高安に住む河内姫の所に通った道とされています。
信貴山の十三峠越えの道と龍田道を使って高井田方面に降りてそこから東高野街道の東側の山よりの道を業平道とする説もあります。
この歌碑は後者の説ですが、私は業平が実際に通ったかどうかが問題ではないと思います。
昔は奈良と大阪を結ぶ道として国道25号線や府道183号線のような数字ではなくて著名人の名前を道路名とした結果同じ名前が複数個出来てしまったのではないかと思われます。
管理はし難くなりますが、そちらの方が情緒があって良いのかも知れません。