聖武天皇の彷徨について読売新聞にあった
コラム

先日から柏原市にある河内国分寺の塔跡や竹原井頓宮跡地を訪れていて聖武天皇の時代に思いを馳せていた。
たまたま、今日の夕刊で聖武天皇が740年に平城京を離れて745年に平城京に戻るまでの5年間に関する話が載っていた。
740年は藤原広嗣の乱が九州の方で起きている。その終焉を前に出立しているので以前は突然に宮を逃げたのではないかと考えられていたらしい。
しかし記事では予め計画されていて日程通りの動きをしていると考えている。
この時代は天然痘の流行や天候不順による凶作に悩まされているだけではなくて、藤原一族の影響力を排除する苦労もされていた様子で政権を安定させるのに苦労をされていた模様です。
残念ながら何故都を5年間の間に移動させなければならなかったのかいくつかの説はあるようですが本当の理由はよく分かりません。
ただ、あまり語られていないのですが写真の年表にある737年の天然痘の流行ですが、昨今のコロナ禍を考えた時に、これって1年で簡単に終息したのだろうか疑問に思います。
そもそも天然痘ワクチンが日本に入って来たのは江戸時代末期の1848年です。
そしてその後も明治や昭和初期ですら天然痘が流行した記録があるくらいなのでワクチンの無い時代にそう簡単に終息したとは思い難いのです。
人が集まる平城京で疫病が蔓延したから人の少ない田舎に遷都したとは考えられないでしょうか?
もっとも疫病からの逃走説を唱える歴史の先生はいないみたいですけれども。
そんな事を考える今日この頃でした。