河内国分寺塔跡_聖武天皇741年国分寺建立の詔
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この付近の地名が国分と呼ばれるのは741年(天平13年)に聖武天皇が命じた国分寺建立の詔によりこの地にも河内国分寺が建ったからです。
今は土台しかありませんが詔勅の通りだとするとここに7重の塔が建っていたと思われます。
先日、1度来ようと思ったものの目標にしていた辺りに道が2本あって、曲がり角を間違えてしまいました。
今日はもう1本の道を登ります。
国道25号線で夏目茶屋の吊り橋と国分寺大橋の中間あたりにある「聖の剛」って廃品回収業者の敷地の東の細い道を山に向かって登って行くと。
数分で吉田農園1号園に突き当たりました。
右に曲がるとすぐに左折出来て、左に曲がると塔跡が見えます。
その曲がり角にある表示
この道案内は西向きに立っていて、私は左に写っている道の奥から上がって来たのでこの角で道を曲がるまで道標に気付きませんでした。
普通は山道を西の方から接近する人の方が多いみたいです。
私はひねくれ者なのでしょうか?
トップの写真の塔跡の道端にある説明板です。
地図だけを拡大してみました。
この付近の大和川が山の間を抜けて奈良から大阪に入って来る様子がよく分かります。
掲載されている地図は右方向が北だったので、ここでは北を上にしました。
塔跡の奥に立っている説明板
残念ながら建立当時の南大門も金堂も講堂も残っていませんし、山の斜面にあるのでどのような伽藍配置になっていたのか、見ただけではイメージできない状態になっています。
当時のものではありませんが今もお堂はあります。真言宗 河内国分寺
ここから登って来た坂を戻らずに西に向かって道を進みます。
小学校の校舎とグランドらしきものがあって、子供たちがサッカーをしていました。
道端にある避難所の看板には国分東小学校になっているのですが、何だか違和感があって変だなあと思いながら通過しました。
家に帰ってから違和感の原因を探すと児童数減少により2020年3月で国分小学校に統合されてここは閉校になっているとの事。
ここも跡地だった。
そのまま道なりに進んで郵便局のある国分市場2丁目の交差点で国道25号線に戻ります。