発掘し放題の継体天皇陵から最古の太鼓型埴輪
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2021年10月14日の読売新聞朝刊より
大阪府高槻市の今城塚古墳より出土したニュースです。
この古墳は学会では継体天皇陵だと考えられています。
しかし、宮内庁は大阪府茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇陵として治定しているので今城塚の発掘を宮内庁は止めていません。
その結果、発掘可能な学会的には非常に美味しく、かつ貴重な天皇陵です。
そもそも継体天皇は体制を引継ぐ天皇(大王)です。
大まかに言って百舌鳥・古市古墳群を形成していた河内王権が15代応神天皇から仁徳、履中と続き系譜が25代武烈天皇で次代を擁立できなくなって終わります。
その結果応神天皇まで5世代、遡って傍系親族を福井県から26代継体天皇を連れてくる形になりました。
この天皇は明日香を目指しますが最初は507年に今の枚方市樟葉に宮を作ります。
ここから20年かけて明日香にようやく遷るのですが、そもそも仁徳天皇は難波高津の宮に住んで大阪の開発に尽力したし、反正天皇は今の松原市柴籬の宮に住んで南河内郡河南町の付近一帯を近つ飛鳥と呼んだりした。
おそらく百舌鳥・古市古墳群を造った人たちは奈良を目指していなかったのではないかと思われます。
その意味では明日香を目指した継体天皇とは最初から意識が違うような気がするのです。
だから武烈天皇に子供がいなかったのような単純な理由ではなく、河内王権がここで終焉する何か大きな時代の変化があったように私は思うのですがどうでしょうか。
いずれにしろ色々と発掘されて分からなかった事が分かるようになって欲しいと思います。