大阪緑の百選№63_辛国神社の参道_藤井寺市
趣味ブログ-街並み

大阪緑の百選№63_辛国神社の参道だが、この緑の百選って選定基準がはっきり分からない。
おそらく大阪府下の各自治体に候補を挙げてもらって、府下全域にまんべんなく広がる様に配慮したのかと思われる。
大泉緑地のような人工的に作られた公園から生駒山や金剛山のような山自体を選定したものまである。
ここは歴史的にメチャメチャ古い神社で6世紀に日本に仏教がやって来る以前からある。
だから歴史的価値で選んだのか? どうもよく分からない。
辛国神社に飾られた2021年の絵馬です。
参道を抜けて本殿を望む写真。
神社は入り口が東で西に向いて参道を歩きます。
本殿自体は日の出の方向を向いています。
商店街を挟んで東に建つ葛井寺は南大門があって正面は南ですが、北に駅があるので参拝者の多くはアーケードを抜けてそのまま西の門からお寺に入る人が多いです。
結果、葛井寺は参道が裏から付いていて門前市ではなく門後市になっているんですよね。
5世紀後期、雄略天皇13年春3月創建、その後物部守屋没後、物部辛国を氏神として祭ったから辛国神社と呼ぶ。
あっさり書いているけれども物部守屋は蘇我馬子に戦争で負けて殺されはず。
この地から北へ行った八尾市太子堂、JR大和路線の八尾駅の少し手前に聖徳太子古戦場跡地があって大聖将軍寺、
八尾空港のそば、南木の本に光蓮寺があってそこに稲城址と言って物部守屋がここで馬子軍を迎え撃った。
要はこの辺り一帯が仏教推進派と日本神道養護派で雌雄を決する戦場になってしまった。
結果、仏教推進派が勝って、聖徳太子が大阪で四天王寺を作って、現在に至る。
だけど、何故か負けた物部一族は滅ぼされずに生き残る。
しかも拠点になり得る神社まで生き残る。不思議だ。
伊勢神宮や橿原神宮ほど有名ではないが歴史の転換点をくぐり抜けた神社です。
今の参道はこんな感じ。
この日は丁度秋分の日だったので、参拝者は入れ替わりで来られていた。