閑話_涼宮ハルヒと冴えカノの安芸倫也の視点
気になるブログ-英語と日本語の違い
皆さんは「涼宮ハルヒの憂鬱」と「冴えない彼女(ヒロイン)の育てかた」をご存じでしょうか?
この2つはどちらもラノベ原作でTVアニメ化された作品です。
どちらも主人公が高校生の話ですが、ハルヒの世界観はちょっと変わっています。
実はこの現実世界はハルヒの思考によって作られているのです。
だから、その世界を彼女は思うままに改変できます。
しかし一般の人には少し奇行を行う女子高生にしか見えていません。
そして、本人もそれが出来るとは思ってもいません。
彼女は日々、何か面白い事が無いかな?と思いながら行動しています。
そして、恐ろしいことに、彼女が、この世の中は面白くないや。無くなっても良いよね。
そう思うと世界が崩壊する運命にあるのです。
彼女は思います。
この世の中に宇宙人や未来人や超能力者がいると面白くなるのになあ。
でもそんな人たちがいる訳ないよねと。
しかし、ハルヒがいたら良いよね。と考えた時点で彼らはハルヒのそばに存在するのです。
でも、いる訳ないよね。と彼女が思っているので誰も名乗りをあげません。
そしてハルヒのそばにいる彼ら、宇宙人や未来人や超能力者はハルヒにこの現実世界を潰されないように、この現実世界を守るために日々、努力するのです。
それに対して、「冴えない彼女(ヒロイン)の育てかた」略称「冴えカノ」の主人公、安芸倫也
は自他共に認める2次オタで、彼は自ら同人サークルを作ります。
そして、自分たちで男性向け恋愛シミュレーションゲーム、所謂、ギャルゲーを作ってコミックマーケットに出品しようと考えている。
不思議な事にこのサークルは彼以外女性ばかりです。
シナリオもアニメーションも音楽担当も全員女性でキャラの濃い人ばかり。
そしてよく分からないメインヒロインがいる。
この女性達は何故か、ギャルゲーじゃなくて、乙女ゲームを作ろうとは誰も言わないで、プロデューサー役の倫也に皆が付いていく。
倫也は自分で2次オタを名乗るくらいだから、彼の見ている世界は現実世界よりもPC画面の中にある。
ある意味、こんな奴によく付いていくよね。と思う。
それはともかくとして、この2作品は世界観が明らかに違う。
20世紀の人類はPC画面の中に現実世界と同じような世界が作れると想像する人はほとんどいなかった。
しかし、21世紀の私たちは今、PCの中に現実世界と同じような世界を作れると思える。
と同時に、現実世界に目を向けるのか、仮想空間を見るのか、この2方向の視点の違いを私たちは明確に意識できる。
このように考えた上で皆さんに質問です。
もし、あなたが言語情報処理をしようと思ったらどちらの立場に立ちますか?
ハルヒですか、倫也ですか。リアル?それとも2次元?