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誉田丸山古墳_横からだと御廟山と区別がつかない

趣味ブログ-古墳 

昨日紹介した応神天皇陵古墳(誉田御廟山)の西にある東山古墳。

何処を起点にして東山と名付けたのかよく分からないのはさて置き、ここから北へ。

ホームセンターコーナン付近から外環を外れて大水川に沿った道に入って行く。

応神陵の北西角を右折して御陵の北の道に出る。

そのまま右にある住宅の奥の森を見ながら東進すると西名阪との交差点。

丸山古墳なんてどこにあった?となる。

道の途中に説明板がある。

その右側の木と正面奥の森の間に少し隙間があるからこの写真の右側部分らしい。

言われてみれば、この北側道路はここで曲がっている。

しかし、曲がった道なんて幾らでもあるし、真横からだと木々の切れ目に気付かない。

元より、道から外れて森の中には入って行けないから残念ながら丸山古墳の裏には回れない。

だから、説明板だけが頼り、これを見逃すと誉田御廟山とは区別が付かないので要注意。

 

話が変わりますが、誉田はコンダと読みます。

ちなみに、応神天皇は品陀別命(ほむたわけのみこと)とも呼ぶ。

誉田(ほむた)誉れ高い田んぼ?の表記も見るが、旧かな使いでホムタと書くと発音はホンダかオンダ。

そう思っていたのにコンダ。う~ん。よく分からない。

 

ここは前を素通りして明日は御陵の東側にあるはずの東馬塚古墳を目指します。

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