白鳥陵古墳はヤマトタケルノミコト陵らしいけど?
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白鳥陵古墳に立っている説明文から
古代の話というと必ず出てくる古事記と日本書紀、でもこの2つの話は記述が違っていたりするし、正確に史実を伝えているとは言えない部分もあって、学校ではあまり深く習わなかった。
しかし、日本武尊と書いてヤマトタケルノミコトと読むこの人は何かの時に出てくる有名人。
簡単に言うと古代にヤマト政権の影響力を日本全国に知らしめた人となるのだろうか。
系譜的には12代景行天皇の子で14代仲哀天皇の親になる。
この時代は日本各地にヤマト政権に従属しない勢力が数多くあったし、朝鮮半島の情勢も含めて不安定な状態だった。
そこで彼が東奔西走して日本全国を従えた話になる。行程は記紀で異なるが、東北地方から九州地方まで広い範囲を移動している。
青春出版社刊 『図説・地図とあらすじでわかる古事記と日本書紀』によると
特徴的なのは古事記では景行天皇が彼を嫌って手元に置きたくなかったから全国を飛び回らせたように描かれているが、日本書紀では親子に情愛があったように描かれているらしい。
いずれにしろ一人の業績ではなくヤマト政権が確立される過程を一人の偉人にまとめたのではないかとも言われている。
そのような状態だから、結局の所、古代史上の重要人物ながら実在したのか架空なのか人物像がよく分からない有名人になる。