7~8世紀頃の地図にある古市大溝の話
趣味ブログ-街並み

藤井寺市の町名を見ていると水に関する地名がある。
例えば津堂城山古墳のような津堂町、大和川と石川の合流点近くにある船橋町、沢田等。
船橋町は昔、ここに渡し船でもあったのかな?沢田は山から水が出てくる沢にある田かな?
津堂は5世紀頃は河内湾や河内湖と呼ばれる水辺があったのでこの辺りに港があったのかな?
そのように想像する。
藤井寺市御舟町が藤井寺工科高校や藤井寺中学校のあたりにある。
だいたい、旧村名から引き継いでいる町名は範囲が広い。
それに対して新規に宅地開発された場所の町名の範囲はそれほどではない。
ここ御舟町は近鉄南大阪線と堺大和高田線の間で市役所の東側、新規開発された場所でもない。
狭い範囲で御舟町がある。
何故に舟?最初聞いた時は不思議だった。
その答えが『難波京と古代の大阪』直木孝次郎編、学生社刊にあった。
本書、133ページにある河内古道港津模式図。
図によると石川と東除川の間に今は無い、古市大溝が存在する。
模式図なので正確な地図ではないが、この古市大溝を使って、東除川から舟が上ってこれたらしい。
ただし、正確なルートがはっきり分からない。
市役所のすぐ横を通る王水樋(王水川)に関係はあると思う。
流れについては
富田林の方から古市駅前を通り、外環で白鳥陵や仁賢天皇陵の間を通っている。
最終的に高鷲駅付近で東除川に合流している様子。
ただ、仲哀天皇陵古墳の西側にも水路があって、、、、。
残念ながら現時点では難波津から舟が入って来るルートがあったとしか言えないです。