昔、松原市に宮殿が有ったって事 ⁈
趣味ブログ-街並み

近鉄南大阪、河内松原駅を南に出て線路沿いに東に歩き、一つ目の信号を右に曲がるとすぐに柴籬神社がの看板が見えてくる。
この看板をヨクヨク見ると第18代反正天皇都跡って書いてある。
神社自体は仁賢天皇の勅命でここに出来たらしいが祭神として反正天皇を祭るだけでなく、元々ここに住んでいたって。
大阪都構想ではなくて、松原都があったって話。
ビックリだよ‼
柴籬神社があるのは知っていた。でもこのあたりが元宮殿だったとは知らなかった。
位置的には東西に走る竹内街道と長尾街道の間にあって南北に走る中高野街道のそばになるので交通の要所ではある。
百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間になる。
反正天皇陵自体は長尾街道を西進して南海高野線の堺東駅のそばにあるけども。
考えてみると今、この辺りは人が大阪市を目指して南北に動くイメージがあるが古代はダイナミックに東西方向に動いていたのかも。
百舌鳥古墳群と古市古墳群って地理的に二つが離れた感じで何と言うか違和感があった。
でも古代の人は私が考えているよりも東西方向に動いていたならばこの2つを一体的に捉えるのも可能かもしれない。