慶応3年1867年から長尾街道に立つ道標
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大阪府藤井寺市小山1丁目で約150年前に建てられた道標。
江戸時代は慶應3年で終わり、その翌年が明治元年になっている。
明治維新に向けて道路整備の必要があったのだろうか?
現在も長尾街道は堺市から東にほぼ真っすぐ伸びているが、この場所で道が突き当たる。
そのまま奈良県に行こうとするとここで右に曲がって堺大和高田線と交わる必要がある。
沢田のあたりから允恭天皇陵の南側を通って石川を渡れるが、左に曲がると街道から外れるので、ここに道標を建てたのだろう。
『いせ』を表示しているのは江戸時代は奈良県を抜けて伊勢参りの道に使われていたからだろうか?
この突き当たりはかなり長い間、潰れた民家が放置されていた。
今は撤去されて空き地になっているが、この土地の所有者がここの石碑を保存するかどうか気になっている。
見た感じ藤井寺市の道路上なのか微妙な感じなんですよね。