#王仁の聖堂址#王仁#ちはやふる#序歌
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大阪府松原市岡にある王仁(わに)の聖堂址です。清堂池に出島として作られていて現在は弁財天が祀られています。
この王仁の聖堂は慶長年間に消失、その後江戸時代に再建、明治3年と昭和43年に立て直されたと立札に書かれています。
ちなみに慶長5年は1600年関ケ原の合戦があった年で慶長19年は大坂冬の陣があった年です。
ところで王仁って何をした人なの?って話なんですが、彼は応神天皇の時代、4世紀末頃、百済出身の王仁博士が論語20巻と千字文1巻を献上した人でこの地で多くの人に学問を教えた。との記録があります。
古今和歌集に収録されている
難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花
の作者と伝えられていますが、この歌はどうやら仁徳天皇に向けて送られたとの解釈があります。
仁徳天皇は応神天皇の第4皇子ですが皇位継承の時に皇位をスムーズに継げなかったみたいで3年間の空白があるみたいです。
それを気にした王仁が花の咲くのに例えて仁徳天皇に送ったのではないかと考ええられています。
この歌は文字を学ぶ昔の子供が基礎として習う歌だったようで、教養人なら知っていて当然だったようです。
現在、百人一首の競技かるたの時、試合前の序歌として詠まれる歌になっています。
『ちはやふる3』、6年ぶりに日テレで放送していますが、ストーリーは吉野会大会、名人、クィーン戦予選と競技シーンが増えてきて放送内で『なにわづ』を何度も聞きます。
ただ、序歌として歌われる時は『今は春べ』ではなく『今を』になっているようですが。
最後にこの王仁の聖堂址の場所ですがグーグルマップを見ていると仁徳天皇陵と応神天皇陵は南北方向に大きなずれはなくて両御陵はほぼ真横に並んだ位置にあって聖堂址はその線上の中央付近に存在するのは偶然ではないように思うのは私だけでしょうか。
もしもこの両御陵を車で訪れる機会があるならばついでにこちらにも寄って頂ければありがたいなあと思います。