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昨日の続き_日本書紀仁徳天皇の大阪開発について

趣味ブログ-古墳 

日本書紀の第11巻仁徳紀にある。

仁徳天皇11年4月に大阪の地で耕作地を増やすためにため池や水路の構築を命ぜられた。

そこでその年の10月に淀川流域で堀江や茨田の堤を着工する。

13年10月に和珥の池、同月横野堤、14年11月に猪甘の津に架橋、

同年、大道の作成、京より丹比村まで。さらに同じ年に石川の水を引いて石川郡での新田開発と続く。

ここで疑問、横野堤は地図上の位置から平野川を指すのか。

すると猪甘の津は現在の生野区桃谷付近で猪飼野を指すのか。

大道は南北に走る難波大道で東西に走る丹比道(竹内街道)とクロスするとして問題は和珥の池。

和珥(わに)で検索すると奈良県天理市に和珥坂があって、このあたりの有力氏族で和珥一族って天皇家と婚姻関係を結んでいた一族が出てくるのだが、文章の流れから見て私は奈良県の話だとは思えない。

そこで文字を変えて王仁(わに)の池で検索する。すると枚方市の王仁公園がヒットする。

ちなみに、こちらの王仁博士は大阪にゆかりがあると言うか応神期に来日した人物で仁徳天皇の時代にも登場する。

『難波津に咲くやこの花、冬ごもり、今は春べと咲くやこの花』

と詠んで皇位空白だった時に 仁徳天皇を天皇位に押し出した。話も残っている。

ちなみに此花区の地名はこの歌から来ています。

そして王仁に関する遺跡は大阪の各地にあります。

 

ちょっと前置きが長くなりました。

ところで、松原市岡1丁目に王仁の聖堂跡が存在する。

仁徳天皇陵古墳と応神天皇陵古墳を結ぶ丹比(たじひ)道、後の竹内街道の丁度、中間点にあって、この辺りで学問を教えていたという話。

ここにため池があって、王仁の聖堂池と呼ぶ。

この池のそばで聖堂遺跡の調査は過去にされているみたいですが、残念ながらこの地と日本書紀に出てくる和珥池を直接結び付ける証拠は発見されていないようです。

ただの地元贔屓に過ぎないかも、でも話の流れからすると和珥池は奈良県の話ではなくてこの辺りの話だと私は思います。

 

 

 

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