仁徳天皇の皇后磐之媛命陵_ヒシアゲ古墳|訪問マッサージ・鍼灸なら大阪府松原市の高橋鍼灸院にご相談ください。

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仁徳天皇の皇后磐之媛命陵_ヒシアゲ古墳

趣味ブログ-古墳 

写真は産経新聞からお借りしました

10月7日の産経新聞の夕刊に仁徳天皇の皇后陵の記事があった。

発掘調査の結果、仁徳天皇陵古墳と同じように濠の内側の堤に石敷きの装飾があったとの話。

仁徳天皇と皇后の磐之媛命には不仲説がある。日本書紀や古事記には嫉妬深い女性として描かれている様子。

自分の不在中に難波津、高津宮に他の女性を入れたのに怒って別居したとの事。

しかし、想像するのに、現代風の浮気に怒って云々のような記事をわざわざ歴史書に残すのか疑問を感じる。

この皇后は朝鮮外交を担当していた葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)と言う外交官の娘で皇族外から嫁いだ初例とされているらしい。

葛城だから奈良県出身か?でも宮は大阪府。自身は元から宮中の者ではない。

さらに加えて仁徳天皇も応神天皇の子ですが、スムーズに委譲されていません。皇太子だった弟が自殺してその後、父から子へと皇位継承しています。

そんな所に嫁いでその後、履中天皇、反正、允恭と兄弟継承する3人の子の母親となります。

ここは親子間で繋がらなかった。

反正天皇の時には治世が落ち着いていたようですが、何だか権力闘争の臭いがプンプンしませんか?

結局、最後は別居したまま死亡。

そして百舌鳥でも古市でもなく、奈良市の佐紀古墳群内に埋葬された。

それが今回記事になっているヒシャゲ(ヒシアゲ)古墳。

人間関係、大変だったのだろうなあと思う。

 

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